おはこんばんは、おばサラです。
先日封書が届いた4回目のコロナワクチン接種
地元の集団接種会場で受けてきました。
種類はオミクロン株対応のファイザー製となりました。
現在はまだ発熱はまだありませんが、いつもより怠い感じがあり、注射した腕が痛くなってきました。
前回3回目のときもしっかり39度位まで発熱したのですが、解熱剤+ポカリスエットをしっかり飲んで、アイスノンをあててひと眠りしたらすぐに平熱に戻り楽になりました。今回もそんな感じで済めばよいな、とポカリスエットを帰りに購入、アイスノンはいつも通り冷凍庫に常備、で備えています。
以前1回目のときにも集団会場で接種したのですが、その頃に比べると、会場の方の対応も随分スムーズになったな、と感じました。
準備される側としては接種する場所自体の準備のほかに
1回目と今回を比べて、各段に変わったと感じたのは
・来訪した人をグルーピングするための確認方法
・その人がどのグループなのか一目で認識できるための札
・時間帯ごとに待機させるためのグループごとの場所づくり
・記入せずに来た人のための筆記用具と筆記ボードの準備
・書類がきちんとそろっているかを確認するメンバーとその順番
・早く着いた人・遅くなってしまった人をフレキシブルに受け入れるルール作り
・接種に付き添いできた人の待合スペース
などなど。
1回目のときはスタッフの方達も奮闘されている!という感じだったのですが、今回はとてもスムーズでした。
また、1回目のときは、ホールなどのスペースだけを使われていたのですが、今期は階段や廊下といったエリアをうまく活用されているな、と感じました。
そんな使い方をみて、聖路加病院のお話を思い出しました。
1992年に竣工された新病院棟は、大規模災害など際機能を拡張して医療処置を遂行できるよう、施設内のあらゆる壁面に酸素供給口が設けられ、チャペル・ロビー・ホール・廊下などもあえて広くスペースを取り、あらゆるエリアで救急救命医療処置が可能になっている、というものです。
当時の常務理事である日野原重明氏がが、東京大空襲の経験をふまえて海外の病院の前例をもとに提言されて実現した設計で、当初は批判もあったようですが、1995年に発生した地下鉄サリン事件の際に大いに活用され、その後、他の病院にも広まったそうです。
あれ以来、東日本大震災や台風避難などの度に、避難所や病院の「余裕の重要性」が認知されたように思います。今回のような集団接種も、あらたに学ことが多かったように思います。
つい日頃の便利さを当然と考えて効率的に、と考えがちですが、病院や役所などは「いざというとき」に備えたしかけが必要なんだなーと、広い廊下にきれいに並べられたパイプ椅子に座り、帰りも綺麗に区分けされた通路でスムーズに歩けることに感謝しながら、帰ってきました。