おはこんばんは、おばサラです。
先日、仕組み化・システム化のスタート時における「ミスはあって当たり前」といったことを書きましたが、今日もそれに関連しての話題。
会社の業務において求められていることが変化してきましたが、案外若いメンバーほど、その変化について行けていないように感じます。
若くてしっかりしているメンバーほど
「自分がアウトプットするものはきちんと」
という意識があるように思います。
人間、「できる限りきちんと」と「自分がアウトプットするまでの時間」はある程度比例してしまうので、結果、
「もっと早くスタートできないのか」
という周囲からのプレッシャーがきつくなります。
「おばサラさんが取り掛かるとすごく早く利用開始になる、凄い」
と言われますが、それは
「失敗すること前提で、スピードを優先するから」
ゆえの差だと感じています。
システムはSaas、クラウドサービス利用があたりまえになったことで、特にデジタルによるサービスは、以前の「提供されるものは完成品」から「常に変化するもの」と、世の中全体の感覚が変わった、と感じています。
それにより、周囲から社内システム構築に求められる要望も「時間をかけて精緻に」というものはなくなり
「スモールスタートして、まずは想定通りの効果がでるかを明らかにしたい」
「高速でPDCAサイクルを回して進化させてほしい」
というものに変わってきました。
これは言い換えると
「いち早く使えるものとして小さくてもよいからスタートし、いち早く課題を洗い出し潰して進化させる」
ということ、つまり
「最初から完璧を目指さず最速を目指す」
「いち早く課題を洗い出す=いち早く気づくような失敗を織り込んでもよい」
という、仕事の成果自体への考え方のシフトチェンジ、
ということになります。
もちろん「作業」というフェーズ・レベルにおいては失敗はないのがベストです。
ですが、「検討」「計画」「設計」といったフェーズにおいては、従来の考え方をしていると、「そんなスピードでできっこない」といった、周囲との認識のずれゆえのストレスが生まれてしまう、と思います。
このような仕事における段取りの変化は、コミュニケーション、人が結論をだすまでの過程においても、現在のSNSの普及による変化による考え方の変化に連動している、と考えます。
よくYouTuberの方の配信などをみていると「集合知」という現象が、配信者と視聴者コメントによる会話の中で発生しているのを見かけます。
配信者の方が一方的にノウハウを披露するのではなく、会話の中で、その場に参加している全員が「ああ、そういうことだったんだね」と納得するような結論にいたり、全員が新たな知識を得る。
社内システムというのは極論をいえば「社内の人間がよりスムーズにすべてのことをやりとりするためのサービス」なので、システム自体に求められていることもそうですが、それを通り越して「システムを構築される過程、仕組みができあがる過程」においても
・完璧であるより成長できるものであること
・より早く提供されてより早く進化すること
といった状況が好まれる、と感じます。
なにより完璧を目指して時間をかけていると、周囲の状況がどんどん変化してしまうので、要望もどんどん変わってしまい、結局「いつまでも始まらない」といった状況にお陥りがち。
結果、自分が行っているような
「ある程度「失敗する」ことを織り込んだうえで最速スピードで提供し、
失敗には「いち早く変化する」ことで要望に応えていく」
となり、
「自らの考慮不足、想定間違いをオープンにする前提で仕事する」となります。
今の日本の学校教育とは矛盾するこのマインドが若い子の辛さの原因だろうな、と思います。
組織としても「失敗を許容する文化」「失敗しても自身を否定されない心理的安全性の高さ」が、これまで以上に切実に大切なポイントなっており、それにより組織の成果も左右されてくるだろう、と漠然と感じています。