おはこんばんは、おばサラです。
先日メンバーと話した際に、伝えたいことがうまく伝わらず、話が拗れてしまいました。
相手と自分は、ビジネスマンとしての在り方などについて、価値観が異なります。
そのため、上司としての私の振る舞いが相手の期待と大きくずれていた、ということがわかりました。
その時から今日までの間は、そのギャップに基づいて次はどう伝えるべきか、いっそ今回言葉で説明しきること自体は諦めるべきか・・・などなど、いろいろ思い返しては悩んでいたのですが・・・
今日美容院にいって、馴染みの美容師の方の顔を見た途端、
「あ!根本的に自分は思い違いをしている!」
ということに急に気が付きました。
気づきのきっかけは、美容師の方が大きなイメチェンをされていたこと。
「自分には毎日の連続の2か月だったが、その時間、私とこの人の時間は分かれており、その間にこの人は自分が思ってもみない方向に変化したのだ」
と思い、その途端、抱えていた悩み自体が「自分の執着」であることに、気が付きました。
「伝わっていない」ことが悩むべき問題なのではなく
「相手の言葉に振り回されて、相手がほしくない言葉をかけ続けている」
「相手の拒否反応は本質ではなく、自分の態度に対する反応である」
「伝えようとしていること自体が自分の執着でしかない」
でした。
「変えられるのは自分であって相手ではない」という本質を分かったつもりになっていましたが・・・まだまだでした。
今回もまた「自分が言葉を尽くせば相手は”理解”という変化をしてくれる」と、勝手な
相手への依存をしており、それが「しつこく説明してしまう」という執着行為になってしまっていました。
私がすべきなのは「伝わる=伝わったと私が思えるまで言葉を尽くす」ことではなく
「自分の期待を明文化して伝える」
「自分の期待と相手のアウトプットの間にギャップが発生したらそれを説明する」
でした。
「伝わる」という、本来は相手次第により決定することを自分で制御しようとするあまり、「相手の考え」までを制御しようとしてしまっていた、と感じています。
これでは相手が拒否反応を示して当然です。
一方、私も相手が期待している「相手の価値観に合わせた上司になる」ことはできません。できるのは「相手の価値観を尊重して、反することは求めない」ところまで。
その結果、メンバーはもしかしたら私が期待している方向とは違う形に向かうかもしれません。
ですが、それは私が決めることではなく本人が決めること。「私が期待している」ものは所詮私の執着でしかない。
きっと私もそうやって、上司たちの期待とは違う方向に進み、勝手に紆余曲折して今に至っているのだと思います。
自分が今日までの執着を手放せるように、まずは自分に集中します。
明日からまたメンバーと向き合う中で「導く」という勝手な舵取りをせずに、本人が自分で歩みを決めて進められるように、自分の軽率な言動を戒めていこうと思います。