おばサラ日記

50代おばはんサラリーマンの徒然日記

【マインド】心配という名の呪い

おはこんばんは、おばサラです。

 

息子が新たな挑戦を始めようとしています。

私たちは大賛成!なのですが、祖父母は反対。

そこにあるのはもちろん、孫への不安と心配なのですが、言葉としてでてくるのは「彼にできるとは思えない」「過去にXXXだったじゃない、だから・・・」

 

息子のここまではいろいろとハードモードでした。

本人にはどうしようもないことで色々な事を手放してきました。

そしてここまでのチャレンジも失敗続き。

実績だけを客観的にみると確かに「新しいことを上手くいかせるだろう」といえない状態です。

ですが、それを一番よく知っているのは本人。

もしかしたら若さゆえの浅い覚悟かもしれない。「こんなことになるなんて思ってもみなかった」と嘆く日がくるかもしれない。

そんな風に迷っていた彼には

「このチャンスは今回限り。それを掴むのも人生。見送った先の時間を歩むのも人生。そして掴んだ結果挫折するかもしれないけどそれも人生だよ。」と話しました。

 

例えていうならば、今回のチャレンジは崖のぼり。見送ったもう一つの道は階段。

祖父母としては安全に階段を昇っていってほしいのでしょう。

ですが、用意されている階段を登り切れるかなんて、誰にもわかりません。

そして階段は途中で佇むのも引き返すの簡単。そしてそこに未来はありません。

確かに崖は、登り始めた後に諦め手を離したら大怪我必須。そして上った先もまた険しい道かもしれません。ですが「登りきるしかない」という覚悟のもとチャレンジしてやり遂げれば、きっと新たな景色を見ることができるでしょう。

 

そんな中、親ができるのは「がんばれ」と下から応援することだけ。

これからチャレンジするクライマーに向かって「あなたの実力では無理だと思う」と評するのは、本人のモチベーションをさげて、できるものもできなくしてしまうでしょう。

 

私も昔、息子に「あなたはXXXができなかったのだから、今回の約束を信頼するのは難しい」と言ってしまったことがあります。今から思うと毒親としか言いようのない言葉です。

本人に冷静に評して警告するのは赤の他人がすればよいこと、今の世の中はあらゆる形で計測されて評価されるのですから、そんなもの、親がする必要なんてなかったのです。

会社という赤の他人同士でさえ、過去の失敗を許され期待されればこそ、次のチャレンジをすることができます。

親・家族から期待できない、と言葉を浴びせるなんて、まさに毒・呪いでしかありません。

 

そんなわけで、祖父母の言葉は私がやんわりきっぱりと押し返して終わりました。

心配なだけで悪気があるわけではないのですけどね。