おはこんばんは、おばサラです。
息子と「働くとは」という話題になりました。
まだまだ「辛いことから逃れたい」という気持ちが強いお年頃の息子。
「働かなくて済む状況になったら働かないほうが幸せではない?」との疑問。
たしかに、私も時々疲れている朝は「うーん、働くのやだよー」と口にだしてしまいます。
まだまだ「生きるためには働かなければいけない」社会。
将来シンギュラリティが実現するとベーシックインカムにより「生きるために働く必要はない」社会がやってくるかもしれません。
その時に果たして人は「働く」という選択肢を取らなくなるのか。
ですが、もうすでに一生働かなくてよい人も、数多く働いています。
きっと本質的に人は「自らが何らかの対価を払うことで、何かを勝ち取る、という行為を望んでいる」のではないかと思います。
一方で、生物は「集団でいると何割かはさぼる」という性質があるそうです。
私が知っている有名な研究ケースは蟻。そのさぼっている何割かを取り除くと、今度はそこまで働いていた蟻がさぼりだすらしい。
その話を聞いたときに思ったのが「多様性を保つための生物的本能なのでは」ということです。
つまり、すべての人間が全員真面目に働いている社会など、生物的にありえない。
ですが、蟻の例のように、「誰がさぼる人で誰が真面目に働くか」というのは、私たちは自分で選択しているようだけど、もしかしたら本能的に自分の周囲を観察して、脳が選択しているのかもしれない。
なので「働きたくない、と感じる自分の心は無理に責める必要はない。だけど、生物としてマクロ視点で見た時の問題と主観の問題は別。働かないことのリスクや結果を自分の身に引き受けたくないのであれば、まずは働く前提で人生の準備をすべき」という話をしました。
そのうえで「やりたいことでお金を稼げるようになるのが一番」とも。
いつか遠い将来、彼が「まったく働く必要はないが、楽しいしやりたいから活動しよう」という気持ちで何かを成せるようになったらいいな、と思っています。